2012年3月28日水曜日

0226

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仙台のおばさんおじさんのはからいで
石巻に車で連れていってもらえることになった。

石巻は気仙沼とか陸前高田とか
もう少し北側に比べたら、形が残っている家があると言っていた。

おじさんの実家は南三陸町の内陸でギリギリ津波がこなかったようだ。
でも海側は本当に全部海に持っていかれていた。
もしかしたらおじさんの親戚や友達は家が流されたり亡くなった人もいたかもしれない。

インターから降りて大分街が戻っていたかのように見えた。

石巻は、昔は宮城の第二の都市とも言われていたくらい大きな街だったようだ。
大きな港に大きな水産関係の工場や製紙工場があって、
もくもく煙があがっていた。
海側の家はよく見ると土台しかない土地がたくさんあった。
海沿いには廃車の山があった。
瓦礫の山もものすごい高さが積まれていた。
その奥にぐしゃぐしゃになったままの鉄の階段。
建物二階分くらいの高さの魚市場の屋根は津波でぐちゃぐちゃ。
津波で大量の車が流されたから柱や壁にぶつかって曲がってしまっているようだった。

おじさんたちが5月に来た時は、道路に車や船が転がっていたし
道沿いのお墓の上に船が乗っかっていて
その上に満開の桜が咲いていて
美しく悲惨な奇妙な光景だったんだって。

それに、比べたら大分良くなったし、営業してるお店もあるけど
やっぱりまだまだ1年前のまんまの状態はいたるところに残っていた。

高台に行って街を見下ろした。
今年1番の雪に、街が綺麗に覆い隠されていた。
でも、ここで何百人の人が亡くなった。
未だに見つからない遺体だって沢山ある。
きっとここに逃げて津波に飲まれた街を見ていた人もいたはず。

私の地元は親が子供の時から
明日地震が来てもおかしくない、という教育を受けてきたから
防災訓練も半年に一回くらいあるし
参加証明書を学校に提出しなければいけなかったりするので
かなり熱心にやる。家を建てるにも耐震対策はほぼ義務づけられているようなもので
いづれ来る東海地震の震源地は焼津藤枝間だという予想が
新聞の一面だったこともあった。
確かに小さい震度3くらいの地震はしょっちゅうあって
地震があるたびに、次は東海地震かもなんて常に心配している。
多分、防災グッズが家にない家庭はほとんど無いと思う。

東京に来て、地域の防災訓練が無くてちょっとびっくりしたくらい。


石巻から松島、塩竈、仙台の海沿いへとまわった。

松島は観光客がたくさん。
お店もほとんど営業しているけど
営業再開できないようなところも少なくない。
お店の入口には、ここまで津波が来ました、と
線を描いて貼り紙しているところもあった。

雪の松島はとてもきれいだったけど
船がたくさんで、島しか見えない景色も見て見たかったな。

車で走っていても、柵や電柱がまがっていたりする。
これは津波の影響というよりは
津波で流された車がぶつかった跡みたい。

ここに車では津波に全部流されるから危険だと思ってたけど
それだけじゃないことがわかった。
津波によって流れてくる車や船によっても建物は壊れる。

たぶん、避難訓練じゃわからなかった部分。

今回、とにかく行かなきゃ!って思いで行った宮城。
現状を見れば見るほど他人事ではなかった。
人の気持ちになって、とか、
自分がされて嫌なことはしない、とか
たぶん、そういうのも人それぞれに感じてることは違う。
だから、私が安易に「自分だったらこういう気持ちになるだろう。だから他県の人にどうされたいか。」なんて
考えても意味のないような気がした。

いつか起こるといわれつづけている地元や都心部が
本当に起こってしまった場合の最善の対応を真剣に考えなければならない。