2011年12月7日水曜日
2011年12月3日土曜日
2011年8月5日金曜日
2011年6月24日金曜日
2011年6月7日火曜日
2011年5月28日土曜日
Sence of Wonder
いしてもらいました。
中でも家族には本当に助けてもらいました。
叔父の幹ちゃんには毎回毎回展示台をお願いして、今回もギリギリになっ
ちゃったけどきっちり作ってくれました。
職人の叔父がいて本当にラッキーです。
作品を作るまでは大工のおじさんって感じだったけど
本当にお世話になってる1人になった。
なんだか不思議。
そして、今回は父が何故かものすごく協力してくれました。
幹ちゃんと私が設置方法に悩んでいるのを見て
自分もやらねば!と思ったのか
ホームセンターに杭を探しに行ってくれたり、
いろいろ提案だしてくれたり
焼津から笠間まで展示台運んでくれたり。
今まで父がここまで協力してくれることがなかった分、すごく驚いていま
す。
私が美大受験する時、両親に反対されていたことを思うと信じられない。
でもあの時も、自分でバイトしてお金ためて予備校行くようになってから
後押ししてくれるようになったんだった。
実は私、自分の名前がすごく好きなんだけど、
「佳きを織る」、だから良いものをつくれるように頑張りたい。
うっかりこんな名前をつけちゃったもんだから、反対しても諦めてるんだ
ろうな。
50代のおじさん達を振り回して
酷い娘だな、と思うわけです。
どうやって返していこうか。
2011年4月16日土曜日
2011年4月14日木曜日
2011年4月7日木曜日
日本が今大変なことになってる。
ということで行くかどうか躊躇した旅行ですが
こんなに長い休みめったに取れないし
海外から見た日本が見れる良い機会かもしれない。
観光に来ている自分が恥かしくなるかもしれないけど
行くのを辞めて自分が何かできるかというと募金くらいしかできないし、だったら動いてみよう
と、思って行ってきました、クロアチア。
ホステルのオーナーさんが出張に行ってしまったため
お友達の整体師をしている日本人が空港まで迎えにきてくれました。
原発、日本大変だよね。ヨーロッパも何百という原発があるから他人事じゃないからね。
政府はまだまだ隠してるよね。
クロアチア人の平均収入は7万くらいだからデモが起きたりしてるよ。
でもそこまで危なくないし今日は日曜だからデモも店もほとんどお休みだよ。
初日は日曜日でほとんどの店は閉まっていて、開いているのは教会くらい。
牧師さんが、
日本は大変ですね。大丈夫?
と声をかけてくれ、教会の説明をしてくれました。その後天皇の話とかしてたけど英語がうまく聞き取れませんでした。
教会に置いてあった新聞の一面には津波の被害にあった町の写真。
ぐるっと街を歩き回ると、ネットのニュースで見た日本大使館がありました。
キャンドルと箱には折鶴がたくさん入っていました。
その場で、折って箱の中に入れました。
夜はピザ屋に入りました。クロアチアはPIZZARIAが多いです。
お店の人はとてもやさしいおじいちゃんでした。
一番小さいピザを頼んだら、日本のLサイズくらいあったので
外人が日本でピザ頼んだら小さすぎて怒られるんじゃないかと思いました。
0328
プリトヴィツェに行こうと思ったのに雨で、バスターミナルでチケットだけ買って帰りました。
郵便局にハガキを出しに行ったら、隣のビルで日本の折り紙と切手の展示をしていたと聞いたので
行ってみました。
画用紙くらいの厚紙で、日本では見なれないようなオリジナルの作品がたくさん並んでいました。
聞くと、ザグレブの折り紙クラブの人が自分でデザインして折るのだと言っていました。
そのクオリティーはもはや職人の域。
一枚の紙からオリジナルの折り方で作った動物や、花や、モアイなど。
そして、ここにも日本への募金と千羽鶴がありました。
トルコに行ったときに折り紙教えて人気者になった私ですが、
やっぱり折り紙は世界に誇れる文化だし、
熱心にやっている人は本当にすごい技を持っているのです。
たまに折り紙博士みたいな人がテレビに出たりするけど
海外のオリガミクラブが一同に日本に集まって展示できたら楽しいのにな。と思いました。
夜は恒例の似顔絵を描きました。クロアチア人、美男美女多し。
その日ホステルにやってきた韓国人の女の子と仲良くなりました。
彼女はクロアチアの主要観光地を一通りまわってきたのですが
どこへ行っても日本人に思われ、
「ジャパニーズ!!ツナミ!?」と心配されたそうです。
今回が初めての一人旅だったのに3回もヒッチハイクしたそうです。それだけ、クロアチア人は素敵な人が多かったということです。
道を聞いても、英語がしゃべれないのに一生懸命伝えようとしてくれます。
友達はこの旅行の前、大分いろんなことに落ち込んでいたけど
クロアチアに来てから自然と笑顔になってることに気づいた、と言っていました。