2012年2月26日日曜日

0225

0225

仙台から山元町までの道のりは
あたり一面雪景色でほとんど様子がわからなかった。
私たちが走った道路まで津波が来たんだと隣のおばちゃんは言っていたが
いまいちピンと来なかった。
ただ延々と田んぼに綺麗な続いているようにしか見えなかった。

山元町の民家。
二階建ての大きめのおうち。
手着かずの状態。
家主のじいちゃんがいた。

3月11日からもうすぐ1年。
「あれから1年」なんてメディアで特集するけど
1年なんて全然たってない。
3月11日から時計が止まっている家だった。
周りを見回すと手付かずの家がいっぱいだった。
3月11日から時計が進んでいる家はあまりなかった。

じいちゃんは特にとっておきたいものは無いと言っていた。

片付けを始める。
たぶん50人以上の人はいたけど
お家はひろいし、家の中に床が見えるところは無いし
1階は80�くらい高いとこに建ててあったけど
泥やヘドロは20�以上積もっていた。
縁側の窓の冊子はぐにゃんぐにゃんでとてもじゃないけど
人の力では外せない。
家の中から出したものは20種類以上に分別しないと
業者が持って行ってくれないらしい。
紙ゴミ、可燃、不燃、布、プラ、陶器、石膏パネル、ガラス、、、
あと大事なもの。

とりあえず家の中から出てきたものを分別した。
大きい家具から家電。本や食器。
使いかけのシャンプー。健康診断の書類。アルバム。レコード。ゲーム機。
写真は濡れてインクは溶けていたから
見る影もないような写真ばかりだった。

とりあえず形を留めているダンボールに漫画や雑誌を詰め込んだ。
でも、泥の中から出てきたダンボールなので、きれいな形のダンボールは無かった。
湿って曲がって乾いたダンボールは
雪でまた湿ってどんどん柔らかくなった。
私たちと同世代くらいかなと思わせる大量のジャンプコミッスをどんどんダンボールに詰めた。

途中、仕分けをしている人たちも
家の中の瓦礫や泥を集めたものを外に持ち出してくれと声がかかったので、キッチンに向かった。

大きなチリトリにはヘドロと食器や調味料が混ざったのがどっさり。
冬だけどやっぱり臭い。下水臭い。
これ、夏はもっとキツかったんだろうなと思う。
写真や映像では臭いは分からない。
これを外に運んでは空いたちりとりをキッチンは届ける。
みんな慣れているのか手際が良かった。
自分がちゃんと動けているのが不安だった。
すごく雪が降っていたから下ばかり見てたけど、それでもだんだん床が見えてきた。
最初はずけずけ入り込んでいた被災した民家が
だんだんじいちゃんの家に戻っていって
きれいに箒ではいた後を土足で通るのが申し訳なくなってきた。

私は見てなかったけど
天井に津波の跡が着いていたので天井のボードも取っていた。


多分、震災や津波の被害を受けたお家は順番に取り壊して行く。
掃除したお家もいずれ取り壊される。

団員の人が言ってたけど
これは死化粧のような活動なんだと。
例えば事故でぐちゃぐちゃになった遺体をそのまま火葬するのは辛いけど
きれいにしてあげる事で少しは救われる人もいる。
お家が取り壊される前に生前の姿に近づける活動なんだと。

最後は小さいブラシで隅々の砂を掻き出している人もいた。

最後にヘルヒャーをかけて終了した。

畑の上に分別されたいくつもの瓦礫の山は
悲惨さを隠すように雪が覆いかぶさっていた。
瓦礫の山は語弊があるかもしれない。

最後にじいちゃんと息子さんが挨拶をした。
また住めるんじゃないかと思えるほどになったと言っていた。

取り壊しが決まった家を綺麗にするなんて無駄だという人もいるし、言ってる事もわかる。
でも大切なものが知らないうちにゴミにされてしまうかもしれないし、
ここで亡くなった人がいたら形見や思い出が出てくるかもしれない。
忘れられるのが1番怖い。

作業は午前中で終わった。
始めて参加したけど、だいぶ大変な作業だった。
でもスコップ団のレギュラーメンバーは毎週毎週この活動を続けてきた。
それを考えると、自分たちは全然何にもできてなかったこととか
募金したから街がきれいになるわけでも元通りになるわけでもなく
誰かが動かないといけなくて
でもきっと動いているのは地元の人がほとんどで
やっぱり遠くに住んでいる人達はまた日常に戻るから
やっぱり頭の片隅においておくことしかできない。
24時間あの震災のことを考えていたら身が持たないし
やっぱり遠く離れてるから想像することしかできない。

陸前高田の方が一緒のバスに乗っていた。
自分たちのところは完全に流されて大事なものも家も全部海に持っていかれてしまった。
まだ形があるんだったら元にもどせるものがあるんだったらお手伝いしたいって言ってた。

でも、今回行ってわかったのは
やっぱり行ってみないと何もわかってないと同じだったということ。
行って、できれ自分の体を使って動かないとわからないことがたくさんあったということ。
被害が大きかったところは報道されているとこばかりじゃないこと。
東北の人たちも、いろんな考え方の人がいると思うから
感想を書くのはとても難しい。


午後、仙台に戻ったら
また普通の生活に戻ってる。
午前中の出来事が昨日みたいだった。
車で1時間くらいなのに別世界みたい。

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